【怒り】江藤拓農林水産大臣「米買ったことない」発言が示す政治の闇 米も買えない国民を愚弄する特権階級の傲慢

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庶民の怒りが爆発!「売るほど米がある」発言の衝撃

5月18日、佐賀市での講演で江藤拓農林水産大臣が放った「私は、コメを買ったことはありません。支援者の方からたくさんコメを下さるんですね。まさに売るほどあります」という発言が、全国の家計に苦しむ国民の怒りに火をつけた。

この発言がなぜこれほどまでに問題なのか。それは単なる「失言」では済まされない、日本の政治構造の根深い闇を露呈しているからだ。
現在、スーパーのコメが5キロで5000円という異常事態となっている中で、農業政策の最高責任者である農水相が「売るほど米がある」と豪語する。
この発言は、米も満足に買えない庶民への宣戦布告に等しい。

米価格高騰の実態 庶民は節約で必死に生き延びている

現在の米価格高騰がどれほど深刻か、具体的な数字で見てみよう。
従来であれば5キロ1500円~2000円程度で購入できた米が、今や3000円を超え、場合によっては5000円近くまで跳ね上がっている。
これは実に2倍以上の値上がりだ。

イオンの土谷副社長は「パンやパスタが売れている」と危機感を露わにし、「このままでは日本人がコメを食べる文化が衰退してしまう」と警鐘を鳴らした。
実際、多くの家庭では米の消費を控え、より安価な小麦製品に切り替えざるを得ない状況に追い込まれている。

ある30代の母親は「子供3人いるから、米5キロなんて1週間ももたない。でも5000円も出せない。
パンとパスタでなんとか凌いでいるけど、栄養バランスが心配」と涙ながらに訴える。
こうした切実な声が全国から上がっているのが現実だ。

世襲政治家の「特権意識」が生んだ暴言

江藤農水相の発言を理解するには、彼の出自を知る必要がある。
江藤農水相は、いわゆる世襲政治家だ。父親は建設相、運輸相、総務庁長官を歴任した江藤隆美氏である。

興味深いことに、隆美氏は1925年、宮崎県日向市で農家の二男として生まれた。
生活は苦しく、小学5年生で出稼ぎに出されたこともあったという。
そして政治家を志した動機を後に「豆腐を食べられる身分になりたかった」と語ったのだ。

つまり、江藤農水相の父親は貧困を経験し、「食べ物を自由に食べたい」という切実な願いから政治家になった人物だった。
それがなぜ、息子の代では「売るほど米がある」などという傲慢な発言が飛び出すのか。

一方、息子の江藤農水相は名門の県立宮崎西高校から成城大学経済学部に進学。
卒業するとハーバード大学国際問題研究所客員研究員となったという経歴の持ち主だ。
恵まれた環境で育った世襲政治家が、庶民の苦しみを理解できるはずがない。

「支援者からもらう米」が示す政治の腐敗構造

江藤農水相の「支援者からたくさんコメを下さる」という発言は、単なる「お裾分け」の話ではない。
これは政治と農業の癒着構造を端的に表している。

ネット上では「支援者からコメをもらい、一般消費者向けのコメが高額取引されるスキームを構築したのであれば収賄やん」という厳しい指摘も出ている。
確かに、農協や米農家といった農水省の政策の恩恵を受ける立場の人々から定期的に米をもらうというのは、利益供与の疑いがある。

さらに問題なのは、このような「特別待遇」を受けている農水相が、一般消費者の米価格高騰を「他人事」として捉えていることだ。
自分は一円も払わずに米を手に入れているのだから、5000円の米がどれほど庶民にとって負担かなど、想像すらできないのだろう。

反省なき謝罪の繰り返し 過去の問題発言を振り返る

実は、江藤農水相の問題発言は今回が初めてではない。江藤農水相がコメの高騰を巡って謝罪したのは、今回の4月22日が初めてではないのだ。

2月3日の衆院予算委員会で立憲民主党の神谷裕議員が「コメ高騰が続いたのは、農水省の対応が遅れたのが原因ではないか」と質問すると、江藤農水相は「大いに反省はある」と認めた。
しかし、その一方で江藤農水相は「コメの値上がりは一時的なものだと当時の農水相が判断したことは無理もないこと」と答弁した。
つまり坂本前農水相を擁護したのだ。

これは典型的な「責任逃れ」の答弁だ。口では「反省している」と言いながら、実際には前任者を擁護し、農水省の判断ミスを認めようとしない。
このような姿勢で本当に国民のための政策ができるだろうか。

4月22日、江藤拓・農林水産大臣は閣議後の会見で「備蓄米を出しても店頭価格が下がらないということについては、責任を重く感じておりますし、申し訳ないと思っております」と謝罪した。
しかし、この謝罪の後わずか1ヶ月で「売るほど米がある」発言である。これでは謝罪など何の意味もない。

農水省の政策失敗と江藤農水相の責任放棄

米価格高騰の根本原因は何か。それは農水省の政策判断の甘さと対応の遅れにある。
消費者がコメ不足と高騰を実感したのは昨夏からでしょう。
ところが日本農業新聞などの専門紙は昨年2月の段階でコメ不足を報じていたのです。にもかかわらず、農水省は何の対策も講じませんでした。

つまり、専門家が1年以上前から警告していたにも関わらず、農水省は何もしなかった。
その結果が今の惨状だ。
しかも、当時の坂本哲志・農水相はコメ高騰を不安視する国民に向かって『秋には新米が出回る。コメが品薄になっている状況は回復していく』との説明を繰り返しました。
しかし、これは希望的観測に過ぎなかったのである。

さらに問題なのは、江藤農水相の法的責任に対する認識の甘さだ。
食糧法に”価格の安定”は「書いていない」と答弁した江藤農水相という報道もある。
これは法的な責任逃れの典型例だ。確かに法律に明記されていないかもしれないが、食糧安保の責任者として、国民が米を安定的に購入できる環境を整えることは当然の責務ではないか。

国民の怒りの声 SNSに溢れる憤りと絶望

江藤農水相の発言に対する国民の反応は激烈だった。「国民舐め腐ってて草 マジでゴミしかいない政府だな」「こんなんが大臣やってんだもん そりゃ日本は30年衰退し続けるわけだわな」といった怒りの声が相次いだ。

特に印象的なのは、「軽口のつもりなんだろうけど 結構な煽り文句だよな 読んだ瞬間、拳握りしめたわ」という投稿だ。この言葉には、米も満足に買えない生活を強いられている国民の切実な怒りが込められている。

「この国は自民党議員とそのお友達になったもん勝ち」という投稿も、現在の政治システムの本質を突いている。
確かに、支援者から米をもらい、庶民感覚を完全に失った政治家たちが国を動かしているのが現実だ。

政治的影響と自民党政権への打撃

この問題は単なる個人の失言を超えて、自民党政権全体への不信につながっている。「この夏 自民党が負ければ 公明党も終わる。まぁ 自業自得ですな(笑)」という投稿に見られるように、有権者の政権に対する失望は深刻だ。

実際、江藤農水相の一連の発言は、自民党が長年築いてきた「国民に寄り添う政治」というイメージを根底から覆すものだ。
特に、生活に困窮する有権者層にとっては、「自分たちの苦しみを理解しようともしない政治家」として映るだろう。

農業政策においても、JA(農業協同組合)との関係見直しが急務だ。JA全中の山野会長の「高くない」発言と江藤農水相の「売るほどある」発言は、農業界と政治の癒着構造を如実に表している。
一般消費者の苦しみよりも、業界との関係を優先する姿勢が透けて見える。

慌てて取り繕う釈明 しかし時すでに遅し

炎上を受けて、江藤農水相は19日の参院決算委員会で、前日の講演でコメを買ったことがないと発言したのは「実は間違いだ」と言明した。
さらに「私のような立場にある人間がコメはいっぱいあると発言したことは本当に不適切だった」と謝罪している。

しかし、この釈明自体が問題だ。コメ価格高騰などの問題が発生してから週に2回はスーパーを回るようにしており、先週もコメを買ったばかりだと説明したが、これは明らかに後付けの説明だろう。
本当に週2回もスーパーに通っていれば、米価格の高騰を実感しているはずで、「売るほどある」などという発言は出るはずがない。

地元からコメを送ってもらうのがうれしく、ありがたい気持ちを込めて発言したという弁明も、言い訳にもならない。政治家として、特に農水相という立場にある人間が、公の場で個人的な感情を根拠に発言することの不適切さを理解していない証拠だ。

結論 特権階級による国民への裏切り

江藤農水相の「米買ったことない」発言は、単なる失言ではない。
これは日本の政治構造が抱える根本的な問題の象徴だ。

第一に、世襲政治家の特権意識の問題がある。
恵まれた環境で育ち、支援者から様々な「お裾分け」を受けてきた政治家が、一般国民の生活実感を理解できるはずがない。

第二に、政治と業界の癒着構造の問題だ。
農協や米農家からの「支援」を受けながら、一般消費者の利益を真剣に考えることができるのか、大いに疑問だ。

第三に、政策失敗への責任回避の姿勢だ。
米価格高騰は明らかな政策の失敗なのに、江藤農水相は前任者を擁護し、法的責任を否定する。
このような姿勢では、根本的な解決など期待できない。

最も重要なのは、この発言が示した政治家の国民に対する傲慢な態度だ。
「売るほど米がある」「支援者がくれるから買わない」──これは米も満足に買えない庶民への侮辱に他ならない。

国民が求めているのは、華麗な弁明でも薄っぺらい謝罪でもない。
庶民の生活の苦しさを真摯に受け止め、実効性のある政策を実行することだ。
しかし、支援者から米をもらって「売るほどある」と豪語する農水相に、それが期待できるだろうか。

この発言は、日本の政治がいかに国民から乖離しているかを如実に示した。
特権階級による特権階級のための政治──それが今の日本の現実なのかもしれない。
有権者として、我々はこの現実を受け入れるべきなのか。それとも、真の変革を求めて行動すべきなのか。

答えは明らかだろう。米も買えない国民を愚弄する政治家に、これ以上国を任せるわけにはいかない。

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